わが国に伝来する中国製の檀像の古例の一つで、多武峰(とうのみね)伝来と伝えられる。白檀製で、約1尺3寸の法量をもち、瓔珞(ようらく)で像身を荘厳する姿は、十一面観音の造像法を記した経典の通りであるが、右手に珠数及び瓔珞を掛け、頭上面のうち牙上出面を菩薩面につくることから、本像は6世紀から7世紀半ばにかけて訳出された3本の経典の内容を折衷し典拠としているとがわかる。
頭部は体軀に比して大きめにつくられ、頭上面は頭頂に椀形に彫出された被物に枘穴(ほぞあな)を穿ってはめ込まれる。弓形の長い眉に伏目の瞑想的な面貌は、インド・グプタ様式の内省・静寂の表現との共通性が窺われ、7世紀に玄奘(げんじょう)・王玄策らの入竺によってインド仏像がもたらされ、当時の中国でインド風仏像の造像が流行した事情との関連が考えられる。
胸飾・臂釧・瓔珞の細緻に刻出された体部は、下腹をやや突き出した格好の体軀に、僧祇支(そうぎし)を纏(まと)い、また、天衣(てんね)、裳裾(もすそ)の張り、背面の意匠には左右相称の抽象的表現がみられ、より写実的な作風の法隆寺九面観音像に先行する様式を示している。
これらの点から、製作年代はおよそ7世紀半ば頃と考えられる。
なお、現在頭上面のうちの髻頂(けいちょう)面、左側4面、左前膊(ぜんはく)半ばより先、右手持物(じぶつ)、瓔珞・天衣の遊離部分の一部、台座等が後補の手になり、頭上背後の大笑面、左足枘等を欠失している。