経巻を納めた竹製の厨子。「法隆寺献納宝物」の一つで、法隆寺東院伽藍を建立した行信(ぎょうしん)僧都が、聖徳太子のさまざまな遺品とともに、奉納したものと伝えている。
両開きの扉が付き、中には2段の棚を設けている。四隅の槻(つき)材の柱に天井板、底板、2枚の棚板を取り付け、各面は斑(まだら)のある細竹をすきまなく連ねて、鉄製の八花形鋲で留めた竹の横材で押さえている。屋根は四方から寄棟風に合わせ、中央を平らに仕立てている。底板には台輪をめぐらして四隅と要所に鉄製金具を打つ。
竹は、葦のように細く、太さもそろっていて、中国南部に自生する篠竹(すずたけ)の一種と見られ、屋根や柱の修理箇所には日本産の竹も用いている。厨子は仏像・仏画や舎利、経巻などを安置する「いれもの」だが、奈良時代には箱型のものを厨子と呼び、おもに経巻を納めた。仏像を安置して仏殿を小さくしたような厨子は宮殿(くうでん)と呼ばれた。