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『地獄草紙』や『辟邪絵(へきじゃえ)』などとともに、本来は後白河法皇の蓮華王院(三十三間堂)宝蔵にあった「六道絵(ろくどうえ)」の一部をなしていたとも考えられている。平安時代末期に流行した六道思想では、生前に罪業を犯した人間は死後に地獄道や餓鬼道など六道(6種の苦の世界)をさまよい、餓鬼は飢えと渇きに苦しみ、やせ細り腹だけがふくれた姿で死体や糞尿を食らい、すさまじい責め苦を受けるとされた。
この作品は岡山の河本(こうもと)家に伝来したもので、詞書(文章)は失われ、絵の料紙のみが10枚続けて継がれている。餓鬼道に堕ちた餓鬼のおぞましい顔と姿が、切れ味の鋭い筆線で赤裸々に描き出される。彩色も、当時は鮮やかであったらしい。
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