重要文化財北海道縮図ゴリン沢図ほっかいどうしゅくずごりんさわず

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  • 墨画、朱インク
  • 縦 169.7 cm×横 131.8 cm
  • 江戸時代・19世紀
  • 東京国立博物館
  • P-1109

「今井八九郎北方測量関係資料」は、松前藩士・今井八九郎(1790~1862)による「蝦夷」と呼ばれた現在の北海道を中心とした北方地方の地図を中心とした84点の資料である。その内容は69点の絵図・地図類の他に、9点の文書・記録類、6点の測量具類である。絵図・地図には伊能忠敬流の測量術によって制作された「測量原図」類と、それを基に作成された「測量製図」類に大別される。
今井八九郎は寛政2年(1790)、松前藩下級藩士の子として松前に生れた。通称を八九郎、正式には信名(のぶかた)という。蝦夷地は19世紀初頭の文化年間に江戸幕府の直轄地となり、それまで統治を任されていた松前藩は東北に移封された。このとき今井家は藩から財政難により放禄されたものの、松前奉行の同心として幕府に仕えることとなった。同じ奉行所には間宮林蔵が出仕しており、今井八九郎は林蔵から伊能流の測量技術を学んだのである。
文政4年(1821)、再び蝦夷地を領地とされた松前藩は、八九郎を召命して蝦夷地全域の測量を行なわせた。奥尻・利尻・礼文・北蝦夷地(樺太)・国後・色丹・択捉・歯舞などの島嶼部をも含む測量活動はあしかけ10年に及んだ困難な作業であった。天保12年(1841)からは製図作業にかかり、蝦夷島やその周辺島嶼部の地図が完成した。八九郎の清書図は松前藩に提出されたが、明治維新の箱館戦争で失われた。
 東京国立博物館所蔵の「今井八九郎北方測量関係資料」の絵図・地図類は、清書図の控えとして今井家が所蔵していた資料を、大正3年(1914)に東京国立博物館が今井家から購入したものである。これらの絵図・地図には伊能忠敬や間宮林蔵が測量していなかった島嶼部について精度の高いものがあり、豊富なアイヌ語地名の記載もみられる。松前藩への献呈本が失われた現在では、江戸後期の蝦夷地をうかがい知ることのできる貴重な歴史資料・民俗資料といえよう。南下したロシアの動静を伝える「北蝦夷地ホロコタンより奥地見聞風説書」をはじめとする文書・記録類とともに重要文化財の指定を受けた。

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